都知事選と表現の自由
なんだかからだが重いなあと思っていたら、体調不良のサインがちょこっと。
昨日は所属していない委員会の傍聴に行こうか、隣の区の定例会の傍聴に行こうか、など考えていたものの、自宅作業に専念することに。
⚫︎東京都知事選
今回れいわ新選組は「静観」と内示あり。そうかそうなったか…と。
さて、ではどうしようか。
遅ればせながら昨日の合同記者会見など見たりする。
原発容認派が多いな…このひとたち、現場の事件事故のこととかなんにも知らないんだなあと感想を持つ。
楽天的で羨ましいよ。
「投票に行こうね!」キャンペーンをしようかな。
考えながら色々見ていたら、扇情的なポーズの全裸の女性のポスターを都知事選板に掲示している様子が出てきて、具合の悪さが増してしまった…。
⚫︎自由ということ
基本的には、表現をはじめとするあらゆる「自由」を尊重したい。
今回提出された議案、路上飲酒禁止条例も、その思いで慎重に判断しようと思いました。
議論を聞いてその立法事実の弱さを痛感しつつも、それが「飲酒」を禁止するもので、期間限定だから、事故防止の意義はあるとして賛成することにしています。
本当は条例など必要ない自由な社会が望ましい。
⚫︎性表現の自由
人間のからだはデザインとしても美しい。例えば女性の曲線は美の極み。
私が学んだ美大ではヌードデッサンなどの課題もあって、美としての裸体という感覚が強い。
もともと人間は、裸で生まれてくるじゃないか。
では今回の全裸ポスターをどう判断すべきか。
判断しなくちゃいけない時点で「違和感」があるってことなんだなあ。
それは私の偏見やバイヤス故なのか…。
いや、他人の性的嗜好を所構わず声高に主張されるのって迷惑じゃないのかなあ。
持てはやすのは勝手だけど、出入り口は作って欲しいというか、そこに入りたくない人は巻き込まないで欲しいというか…。
だから「尊重あっての表現の自由」。
⚫︎混浴の文化
若い頃勤めていた時の上司が、山奥の天然露天風呂の話をしてくれた。
人には教えたくないほど素晴らしい大自然の中にあって、そこでは裸を恥ずかしがることが恥ずかしいほどだって。
外国人もみんな屈託なく一緒に入ってるんだって。
日本のそういう文化って今はもう都市伝説級に失われてしまった感覚なのかもしれない。
根本的に貧しいということ…貧しいということは飢えているということ。
飢えていれば奪うことが全面に出る。奪わなければ損。奪われることは搾取。
なにも損なわれないことでも、社会にそういうメッセージが溢れていていれば巻き込まれてしまう。
だから忌み嫌う気持ち、寛容さが持てなくなるのもわかる。
⚫︎子どもたちに向けるメッセージ
先日委員会で、あるイベントでの小さな子のお着替えについて、そういう場合にサッと覆いをする感性を持って欲しいと進言したことがありました。
ことさらに大袈裟にして欲しくもないなって思いもあって。
子どもたちに、あからさまに社会って危険なんだよとか、そういうメッセージを発したくなくて。
ただ自然に、大切なんだよ、だから大切にしようねっていう風に配慮できる社会だったらいいなあと思って…。
そういうのも難しいのかなあ。もう。
⚫︎今日の写真
福島行った時の田園風景。
家には精米器があります。
無農薬玄米買って、食べる時少し精米して炊くんだー。
お米ってどう調理しても美味しくて天才だよね。
2024年06月20日 22:28