公害資料館連携フォーラム 2日目、オンラインセミナーなど
昨日、お昼の合間に受講したことを書き忘れていた。
前置きとして、新宿区議会については、全体38名中、女性議員は14名。まだ少ないとはいえ3割強ほどが女性ということで、女性ゼロ議会ということではない。7期8期の女性の先輩議員もいらして、議会内で「女性だから」ということでなんらか不利を被るということはこれまで感じたことがない。
花とハーブの里のオーナー、菊川さん
今回参加した理由は、出演者に菊川慶子さんがいらしたから。菊川さんは元上司。六ヶ所村で原発に頼らない村づくりを目指す「花とハーブの里」を長年運営しておられた。10年以上前になるが、さわいは2年間そこで働いていた。
4月の統一地方選挙で、六ヶ所村議選に菊川さんが立候補されたことは聞いていた。何度目かの挑戦だ。原発産業にどっぷり依存する六ヶ所村で、反原発の、しかも女性が選挙に勝てる可能性はそれほど高くない。今回も残念ながら惜敗された。
六ヶ所村議会から見る地方議会
16名の定数に18名が立候補。投票率は80%近い。立候補者の中で菊川さんだけが女性。菊川さん以外は無所属とは名ばかりの全員与党(←地方議会あるある)、つまり原発推進派で占められている。菊川さんの得票率が、他と桁が異なるほど開いている。菊川さんがいかにチャレンジングなことをされているかが、ここでも垣間見える。
六ヶ所村のホームページ、議会の情報が少なすぎる。
ちなみにさわいの出身地、六ヶ所村隣の東北町議会。平均年齢は62.44歳、党派別では共産1、無所属15で、女性は1人。投票率70%。
実は現在の町長は中学の同級生。戸籍謄本を取り寄せた時、発行元の町長として同級生の名前が記載されているのを見た時は驚いた。
地方と首都圏の違い、格差
話は戻ってオンラインセミナー。参加してみたら菊川さんは欠席だったのだが。
政治において女性が議会に乗り込んでどんな状況だったのか、何が起きたのかが生々しく語られていた。
委員会や議会の詳細をブログに記載したらけしからんとして止められた、町長が核燃料関連の視察に行ったことを質問しようとしたら止められた、私は悪ことをしたと思っていないと言ったら、懲罰にかけられて議会を1日出席停止にされた などなど。
討論内容の質についても語られ興味を引かれた。
議会いじめ調査報告書
公害資料館連携フォーラム in 福島 2日目
分科会では「教育」(原発事故を教えることをめぐる困難の現在に向き合う)に参加。
小中学校、高等学校での現状、先生方へのヒアリングなどのフィールドワーク、被災生徒らの声などが語られた。
その後はグループに分かれディスカッション。
引き裂かれる現場
小中学校で放射線教育を行う上での困難さには、事業の矛盾が詰まっている。
副読本には「いじめ」が差別防止のために取り上げられているが、原因である原発事故や被災者のことがあまり取り上げられていない。
取り上げられるのは「復興」ばかり、現実を知るものとしては実態とのギャップを感じてしまう。
放射能の危険性をどのように伝えるか(怖いものだ/怖すぎないように)、(避難すべきなのか/避難しなくていいのか)、(この後ガンになってしまうのか/ガンにはならないのか)、生産者に対する配慮、原発事業従事者に対する配慮、専門性と当事者性…。
「私たちのことが復興の宣伝に使われたような気がした。」
「形が戻れば復興したと言えるのか。」
教育委員会が「復興・風化防止・風評払拭」のスローガンと共に進める「高校生語り部事業」について、言葉には責任がある、語り部事業を高校生にさせることは大人の責任を子ども達に押し付けることではないのか、などの批判が寄せられたと報告。胸を突かれる思いがする。
教材の中に震災が原因で自死された自分の親のことが記載されているのを見てから、勉強に取り組むことができなくなってしまったという生徒さん。
「カワイソウな子どもにされたくない」という当事者の子ども達と、大学などで震災学習をすると多くが「カワイソウ」で終わってしまうという学生との対比。
そうやって人間の尊厳を奪っていく原発事業の性質。
国策なのに政治が議論されないこと
これからどうしていこうか、と、事実を伝えていかなくてはならない、ということが語られる一方で、ディスカッションには政治の話がなかなか出てこない。誰かがサラッと「政治には期待できないから、」とおっしゃった。
国策として進められたことが事故の土台にある。事業者だけではない、国が安全だとアピールしたから国民の多くが信じたのではなかったか。そのことが話題に上ってこないことに感じる違和感、政治に対する諦めの深さ、根深さ、タブー視、嫌悪感。
現場の先生の苦悩
「何が正しいのか、正解なのか、」という揺らぎ。現場の先生方が正解を求める気持ち。正解でなければ生徒に伝えられないという呪縛。
しかし。これが正解、たった一つの道だ、と明確に言えることは実はあまりない。個人的には「先生」に対して、揺らぎの中で共に苦悩し模索してくれたらそれでいいのに、とも感じる。
当事者は語れない
当事者にとってみたら出来事自体が心の傷であるということ。時間という処方箋を十分に満たさなければ語れないということと、風化し記憶が「固定化」されてしまわないうちに「語らなければならない」ということのジレンマ。
かさぶたをわざわざ剥がすような痛みを乗り越えて「語ることができる人」でも、被災地で話す機会は少ない。県外からの要請に応える方が圧倒的に多いのだということだった。
水俣病との相似
ディスカッショングループに元環境省の方がいらして、水俣病の詳細な調査が冊子になった資料を分けてくださった。
少し読んだだけでも福島の震災との相似を明確に感じてしまう。しかしこれらのデータは活用されなかった。全てを明らかにすると収拾がつかなくなってしまう、という判断だったということだった。
今まさに「蓋をする」という同じことが繰り返されている。
そうしているうちは「終わらない」し、「被害はまた起こる」。
公害資料館連携フォーラムの2日目、閉会
色々な意味で難しさを感じたな…。
山本太郎代表と知り合いだという福島市議会議員の方ともお目にかかるなど、繋がりも広がり。
福島大学を後にする頃には雪がちらつき始めていた。
来年の開催は東京だそうだ。
「神宮外苑の歴史的文化的資産の価値を守るーイチョウ並木と100年の森ー」
帰りの新幹線の中から途中参加。継続して活発に専門家を交えた議論が行われていることは本当にすごいな、と感じる。神宮外苑でのゴミ拾い、チラシ配り、再開発を考えるツアーなどの活動も継続して行われている。
2023年12月17日 23:23