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マイナンバーカード勉強会、関東大震災追悼大会など

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銀行へ寄ってWebサービスを解約…できず。持参した印鑑が登録とは違っていた。虚しい。もしかしたらそうかなーとは気づいてはいたのだが。
政治団体の会計を遠方に住む妹にやってもらっていて、Webから振り込みなどが出来るよう契約していたWebサービス。選挙が終わって寄付金や支払いなどお金の流れがパッタリなくなったため、月々3,300円の手数料が勿体なくなったのである。出直し。

今日はれいわ本部主催のマイナンバーカードの勉強会。マイナンバーカードについては他の政策研究会などでも勉強を重ねてきているのだが、国策として進められているこの施策を、地方自治体議員としてどう切り込んでいったらいいのかについては考えあぐねていたため、今日は具体的なことが聞けて良かった。

来月はじめ、執行部にデータ請求をする締め切りがあるので一刻も早く箇条書きしておかなくてはならない。全てのテーマについて。そう考えるともう本当に時間がないよー。(泣き言)

オンラインの勉強会は途中でスマホに切り替えてイヤホンにし、文京シビックホールへ移動。関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会に連帯。
追悼「式」ではなく「大会」だったのね。「式」をイメージしてしっかり平服で行ってしまった。黒のワンピースに黒のストッキングに黒のハイヒール。まいっか。誰もそんなこと気にしてないであろう。気持ちはこの服装に近かった。

開場を待っている間近くの椅子に座って資料に目を通していると署名活動をされている方が回ってきた。次は自分かな、と思っていると、なぜか飛ばされた。えーなんでー。イヤホンしてたから??そんな怖い顔してたかなー。(気にしてる。)

(この追悼大会に寄せて、この後 性的虐待の話が出てきます。読みたくないなと少しでも感じた方はここで止めてくださいね。)

大会は長かった。力作。盛りだくさんで。それから結構泣いた。オープニングと間に披露された踊りとか歌とかピアノとか合唱とかに心が揺さぶられてしまって。悲しみはなぜこんなに美しいんだろう…。

たくさんの信頼に足る資料が存在するにも関わらず、日本政府は虐殺の事実を一向に認めないという。人々が口々に「歴史修正主義者」の残酷さ不公正さ怖さについて語る。

歴史修正主義と言われるような流れが世に出てきた時、さわいはどうしても不思議だったんだ。なぜなら彼らのいう「日本人が虐殺をしたという教育をしたら自国に自虐的な国民が育ってしまう。だから歴史は修正する。」的な理論(さわいにはそのように見えた。)がどうしてまかり通るのか理解できなかったから。
事実なら事実、加害者側の自尊心を守るために虐殺はなかったものにする、というのはいくらなんでも破綻しているだろうと感じた。もしそんな理論が通ってしまうのだったら、なんて自己中心的で未熟で残念な社会だろう。国家という病だ。日本は国家という病にかかっているのかもしれない。

例えば外国に「従軍慰安婦の像」が立っていることを思うと心に痛みと動揺が広がる。あまりにも複雑で耐え難い気持ちだ。
しかしこれを癒すには不当に事実を歪めるのではなくて、しっかりと受け止め向き合い続けることだろう。当然だ。傷つけた方も傷ついていて、傷ついた方も傷を上塗りされていくことを止めるために、それ以外に道はあるだろうか。このままではいつまでも終わらないし双方癒せない。建設的な新しい関係を築くことも反省も生まれない。過去からの学びも得られず、再発防止もできないのではないか…。

講演の中で「日本の教育は、人間となるよりも先づ国民になれと云う。」という言葉が出てきた。東京帝国大学で学んでいた朝鮮人留学生の言葉だそうだ。

国民になる前に「人間」にならなくてはいけないよ。心ある「人間」に。あなたは人である前に国民だ、なんて、まるで自分が自分のものじゃない。個としての尊厳が踏み躙られているではないか。
しかしこの日本に生きていると、「私」という「個」の領域は非常に脆く曖昧になり「全体」に飲み込まれていくということはしばしば起こり続ける。振り返ってみると(さわいの場合は)ほとんど生まれた時から「個」は侵害されていたと感じる。そのことに気づいて「個」を取り戻すのは並大抵のことではないということも。


さわいは公表している通り幼少期に親族からの性的虐待に遭っている。相手は日頃優しく遊んでくれた「好きな」お兄ちゃん的存在だった。混乱した。違和感を言葉にできたのはずっと後、同じ被害に遭った親族が「⚫︎⚫︎にセクハラされた!」と怒りをぶちまけてから。そして「私も同じ目に遭った」と告白した時に、母親は「そんなことはなかった。(嘘をつくな)」と否定したのだった。当時なにも言い返せなかった。よくわからなかった。
父親が「お兄ちゃん」を連れてきて話をさせる場を持たせた。彼はニコニコして「そんなことなかったよな?」と言った。やはりなにも言えず困惑して、曖昧に薄く笑うしかなかったのだった。
父はさわいのそんな様子を見て、その男が家に出入りすることを禁じた。

さわいの内心の混乱はその後もずっと続いていた。本当に何年も経ってから、ずいぶん歳を重ねてやっと事実を認めることができたのだ。事実とは。
「私は大切にもされず、尊重もされず、誰かの道具にされた」ということだ。愛されないという恥、大切にされないという恥を認めることが何よりも辛かったのだった。
人が真っ当に幸せに生きていくためには「尊厳」が必要なのである。


さまざまに募る思いが相まって、今日は瞬時に共感してしまいあんなに涙が出てしまったのかもしれない。ほとんどシクシクと言っていいくらい泣きながら舞台を注視していた。多くの方は前を見て座り、何人もの人々が通りを行き来し、撮影をし、すぐ近くでは世間話を始める男性たち。「今日は良かったね、たくさん入って…」「2000人だってよ、すごいねぇ。」…こうして同じ場にいても違う心理的空間を生きているのだ。それが人間の社会というものだ。

踊り手が光の中で天を仰ぎ手を差し伸べる。地の叫びが天に届くように。祈りを届けるように。


れいわ新選組の櫛渕万里議員が他の国会議員らと一緒に登壇された。スピーチあるかなと期待したがなんと登壇しただけであった。多分時間の都合。
たくさんの方が、思いが溢れ過ぎて止まらなくて、時間超過問題がそこかしこに。世界に浸りきって語り、叫ぶ登壇者のところへ、進行役の方がそーっと近づいて時間切れをアピールしている姿も何度か見られ、笑うような場面じゃないのだけどふっと口元が緩んでしまう。

しかし会場の年齢層は高そうだったな…、次世代へ手渡していけるんだろうか、と考えながら帰途。
2023年09月01日 00:25

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